さいはての花園

赤ずきんとオオカミ

「この赤い布は黒き闇を退けるもの……この森に来るときは、決して外してはいけない」

 

 透けるような金色の髪が、湖で反射した光にきらりと輝いた。頭にかぶせられた真っ赤な一枚の布。首元に結ばれた赤いリボン。

 そう、これはたいせつな、たいせつな赤ずきん――森に住むオオカミに食べられないための。

 *

 アキラは今日も不思議な赤いずきんをかぶって、森の奥深くにひっそりと佇む小屋へと向かう。片手に携えたかごには、今朝もいだばかりのりんごと、家の裏で見つけた新鮮なきのこと、お気に入りの絵本。絵本は字が読めないアキラに代わって小屋の主に読んでもらうためで、りんごときのこはそのお礼だ。

「ところでこのきのこ、食べれるのか……?」

 かごの中身のきのこが毒きのこかどうか、アキラにはいまいち自信がない。でも木の皮をはいで食べるようなひとだから、きっとどのきのこを食べたらまずいかはよく知っているだろう。などと無責任なことを考えていると、あたりが少し暗くなってきた。

 家を出たときには晴れていたのに、どうやら遠くから雲が流れてきたようだ。生い茂った木の間から濃い灰色の雲を見上げているうちに、ぽつ、ぽつ……と水滴が頬を打ちはじめた。

「まあ、これくらいなら……」

 たとえ濡れても乾かせばいいだけだ、と小雨を無視していると、雨はどんどん強くなった。ざああ……と次から次へとこぼれるように落ちる雨が木々の葉を鳴らし、強い風が行く手を阻んだ。頭にかぶったずきんがすっかり水を吸い、体が冷たくなってくる。アキラはとうとう諦めて、いったん雨宿りできる場所を探した。

 道を外れて草をかき分け進んでいくと、雨をしのぐのにちょうど良さそうな穴を見つけた。大岩が重なって洞窟のようになっていた。

 アキラは小走りでその穴に入り込み、重たくなったずきんを外してぎゅっと絞った。

「ふう……」

 雨はどんどん強くなり、弱まるところを知らない。これはもしかしたら夜までやまないかもしれないと思いながら、どこかで腰掛けようと洞窟の奥へと進んだ。

 休憩するのにちょうどよさそうな場所を見つけ、アキラは座って岩の壁に体を預けた。ずきんを脇に置いて目を閉じると、雨の中歩き続けた疲れか、じわりと眠気が襲ってきた。

「……」

 少しだけ寝てしまおうか。気づけばアキラは意識を手放していた。

 *

 人里離れた森の奥の、そのまた奥深く。夜の闇に溶け入るようにしてひっそりと棲む黒い影。その日は腹が空いていて、昼から小動物を追いかけて森を駆け回っていた。共に狩りをする仲間などいない。そんなものは不要だった。この牙と爪は狙った獲物を決して逃さない。この広い森の中、たった独りで生きる一匹狼――それが、シキ。

 雨雲がやってきたかと思えばあっというまに雨が強くなってきて、動物たちは皆ねぐらに帰ったようだ。このぶんだと夜まで何も食えまい――いや、食おうと思えばいくらでもやりようがあるのだが、面倒なだけだ――と思い、自分もねぐらに帰ることにした。

 寄りかかるようにして積み重なった大岩の隙間にできた小さな洞窟が、シキの寝床である。月明かりもささぬ純粋な闇は、シキにとって居心地がよかった。

 入り口に立ったところで、シキは違和感を覚えた。自分以外のにおいががした。近く、濃いにおいだ。誰かが、よりにもよってこの自分の寝床を荒らしに来ている? そんな無礼を許せるはずがなかった。

 シキは気配を殺しながら、洞窟の奥へと進んだ。他の動物のにおいがついている場所を荒らしている割にはおとなしい気配だ。ずいぶん呑気か、ずうずうしいやつなのか――気を一層とがらせて小岩の陰をのぞいた瞬間、シキは硬直した。

「……」

 ――人間。

 そして、この、においは。

 小柄な人間の脇に無造作に置かれた赤い物体を、シキはギロリとにらみつけた。いやなにおいがしている。いや、などというレベルではない。脳を内側からえぐられるような強烈なにおいだ。オオカミ避けか――

 シキが顔をしかめてその布を洞窟の奥へ蹴飛ばしたとき、パチリと人間の目が開いた。

「……? ……っ!」

 人間は一回ぱちりと瞬くと、ぱっと目を見開いた。

 ――不覚にも、その大きな瞳に目を奪われた。

「おまえは……」

 声を発すると、人間は今度こそ本当に驚いていた。それもそのはず、シキは人間の言葉を話すことができるのだから。

 シキは人間の額に前足を触れさせた。やわく薄いこの皮膚を、今すぐ切り裂いてしまいたかった。人間は怯えていた。だが、決して目を逸らそうとはしなかった。

「食うなら、食え……!」

 震えた声でそう言った。おもしろい、と思った。怯えるくせに、逃げることも、命乞いをすることもない。挑みかかってくるようなこのまなざし――気に入った。

 

「今からお前の所有者は――この俺だ。食われるよりも恐ろしい夢を見せてやる」

 

「なんだって……?」

 人間はあっけにとられたように息をのんだ。

「二度とは言わん。お前は今日から、俺のモノになる。それだけだ」

「ふ、ふざけるな、この、……化け物が!」

 期待通りの反応に笑みを浮かべると、人間は必死に抵抗しはじめた。だが無駄だ。シキの力に敵うはずもない。シキはあっという間に人間をかたく冷たい地面の上に組み伏せた。それでも強い光は消えることなく、シキの瞳を射貫かんばかりだった。

「……ふ」

 この永遠に続く退屈な時間につかの間の楽しみを添えることができる獲物を、そんなに簡単に手放すものか。シキは内心でほくそ笑んだ。

 このときオオカミは胸に宿った小さな炎の意味を知らず、人間はただ死の恐怖に怯えていた。ふたりがみずからの堕ちてゆく先も知らぬままに、最初の夜がすぐそこに迫っていた。

 

 

 

 To Be Continued... ?

あとがき(再録集『さいはての花園』収録作品に寄せて より)

【赤ずきんとオオカミ】……咎狗ドローイング エア新刊企画投稿作品

夏コミに合わせて咎狗ドローイングで企画したエア新刊として投稿した作品です。エア新刊なので中身は途中までです。ご容赦ください。

春までは「この話を完成させて再録集の書き下ろしに入れよう」と思っていました。プロットもかなり書きましたしブログで下書きの公開もしました。

でも結局話が膨らみすぎて、間に合わなさそうだったので諦めました。やる気はあるのでいつか何かしらの形で完結編を公開したいと思います。

『夜空と銀の煌めきと』のようなじんわり純愛ストーリーの予定です。